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了/観たものについて書く。

2020年 展覧会

※現在開催中の展覧会の内容に言及しています。

 

・国立近代美術館「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」(1月)

 多様な窓の見立ての中でも、PCウィンドウと窓の類似性をテーマとした「窓はスクリーン」の章が印象的だった。私はTVドラマ『簡単なお仕事です。に応募してみた』(2019)の最終回が好きなんだけれど、ネット閲覧を複数の「窓」を渡り歩くことに例えた本展覧会のキャプションを読んで、同作のウィンドウもまたそういう存在だったのかもしれないと考えるようになった。(キャプションは展覧会図録に収録されています)。

 同時期に常設展内で展示されていた《東・海・道・中・膝・栗・毛》も狐につままれたような話で面白かった。

 

東京都現代美術館MOTコレクション いまーかつて 複数のパースペクティブ」(7月)

 オノサト・トシノブの一連の作品群について、織物状の地の上に円というモチーフの作品が数点続いた後に、最後の3点が分割円→クロスの中に取り込まれた円になっていたため、「今まで見てきた円は”完全な”円だったのか?」と戻って確認したくなる構成が良かった。あと鳥瞰視点の複数時代・複数作家の作品が展示内で噛み合っていて、学芸員強そうだなあと思った。

 上階の草間彌生《グレープス》(1989)は、名前通り葡萄の房のひとつぶひとつぶを描いた作品なんだけど、今まで実物を見たことがある草間作品の中でもとびきり端正な印象だった。好きだ。

 

東京国立博物館「特別展 きもの」(7月)

 

江東区深川江戸資料館 常設展 (7月)

 小学生の時江戸時代の風俗図説をよく読んでいたんだけれど、模型写真引用元として江戸東京博物館とこの博物館が頻繁に掲載されていたので、今回ようやく訪れることができた…という感覚になった。

 

上野の森美術館「所蔵作品展 なんでもない日ばんざい!」(7月)

 

永青文庫「翁ー大名細川家の能の世界」(7月)

 

国立新美術館「古典×現代2020 時空を超える日本のアート」(8月)

 しりあがり寿の映像作品《天地創造 from 四畳半》(2020)が予想外にいちばん好きだったかもしれない。最初壁に貼り付けられた四畳半だけに投影範囲を収めるのかな~と思わせておいて、壁一面→壁三面へと広がっていくプロジェクションマッピングが没入感半端なかった。あと北斎漫画顔の登場人物のしゃがみ方が妙にセクシーなのが腹立たしい。

 棚田康司の木彫《白の斜像》(2018)は、まっすぐな足への血のかよい方が木目によって表れていて、存在感ある彫刻だった。あと乾山×皆川明のセクションで、出土品の陶器片とテキスタイルのきれはしが展示ケースの中に隙間なく敷き詰められているのが、他の美術館・博物館ではなかなか出来ない、国立新美術館がやってこそだな…と思わせる展示手法で新鮮だった。

 

草間彌生美術館「我々の見たこともない幻想の幻とはこの素晴らしさである」(9月)

 開館3年目にしてやっと来ることができた。タテに高い建物の中で、細く白い階段が上の展示室へ上の展示室へと誘っていく館内構造が、ちょっと天国への梯子を思い起こさせ、登ってる最中テンションが上がっていた。

 

サントリー美術館「日本美術の裏の裏」(10月)

 

原美術館「光ー呼吸 時をすくう5人」(11月)

 結局私はハコに対する向き合い方みたいなテーマが一番刺さる人間なので、佐藤時啓《光ー呼吸 Harabi#4》(2020)における、無人のように見える静謐な館内の床を間断なくおどる光の軌跡に初見で感極まってしまった。

 佐藤雅晴《東京尾行》(2015‐2016)は実写風景の一部をアニメーションによって「なぞる」作品なんだけれど、めちゃくちゃ回転している物体も、ほとんど動かない道端の花も同じようになぞっているのがちょっと面白かった。

 庭に張り出したあのガラス窓の部屋には、自動演奏(=他者の演奏のなぞり)のピアノが置かれていたのだけれど、同じ空間にいるから分かるような、フェルトが当たる微かな音とかもまた「なぞり」なのかな…とぼんやり考えていた。

 

東京都現代美術館MOTコレクション コレクションを巻き戻す」(11月)

 今回、画面が好き!って感じる作品が多くて楽しかったのだけれど、中でも牧野虎雄《庭の少女〈中庭〉》(1921)が印象的だった。女の子の背後に白い輪郭で描かれた草木のユニークな形が浮かび上がっていていて、葉っぱの裏に暗い青の影が潜む、すげー幻想的に立ち昇ってくる作品だ。

 他にもケーキのクリームのような円に塗られた白髪一雄《作品》(1954)、デカ屏風絵なのに何故かさらっと描かれたように見える宇田荻邨《新秋》(1940)なども良かった。

 

・国立近代美術館「眠り展:アートと生きること」(11月)

 楢橋朝子の《half awake and half asleep in the water》(2004‐2005)は水面から陸地にカメラを向けた作品群で、画面の半分以上が波立つ暗い水で占められている。その奥で陸が「見られる」対象化していて、妙に面白く見えたりする。

 大辻清司が撮影した一連の写真作品が今回一番印象的だった。もともと「見出されたオブジェ」的な作品が好きなのもあるけど、愛着のあるモノも日常化したモノも、ただ物として視線を向けるのって難しくて、それをやってるところに色気を感じる。

 常設展の構成も面白く、個人的には「明るい家」文脈で三岸作品が展示されてたのがアツかった。

 

・渋谷区立松涛美術館舟越桂 私の中にある泉」(12月)

 松涛美術館初めてだったけど、肖像的な作品を地下に・「異形化」した作品を上階に配置するくっきりした構成が館に合っててめっちゃ好きだった。

 地下の人物像は、余計なものが削ぎ落された「人間」なのに、同時に「人となり」がある。例えば老人のやんわりと曲がった腰や、声楽をやっている人の独特の背筋の伸び方という姿勢の表現ひとつにも人柄の違いが表れているように思え、側面から見た姿勢の違いばかり繰り返し見ていた。

 一方で上階の「異形化」した作品は、長い首と大きな乳房、くびれた腰を備える身体に、直線的に面を取ったまま残されたような(そんなはずないのだけれど)パーツが同居していたりして、地下作品とのギャップに気圧された。

 舟越の作品そのものは図録などでたびたび目にしていたが、その目が大理石で出来ていることは今回初めて気づいたので、やはり美術館に足を運ぶ機会、大事だ…と痛感する。