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了/観たものについて書く。

2021年6月(KAAT、虹む街、未練の幽霊と怪物)

※公演期間中の作品の内容に一部言及しています。

 

神奈川芸術劇場『虹む街』(作・演出:タニノクロウ)

 KAAT・中スタジオの幅いっぱいに広げられた街に、ぽつぽつと明かりが灯っていき、それぞれの生活が営まれている…その中央にコインランドリーがある。コインランドリーには、乾燥が終わったタオルを黙々と巻いていく男性がいる。始まってしばらくは、誰も台詞を発しない。ただ行為と、雨の音がある。

 全体的には静かながらも人情味溢れる~というトーンなんだけど、不意に奇妙さが露出して、(タバコ屋から昇ってくる異様な量の煙とか、喫茶店の二人がコインランドリーで着替える場面とか)、でもそれが逆に「ここにある街」の実在性を高めている。

 あと、タニノ作品に頻出する、舞台の異なる位置で異なる生活を送る人物たちの動きがふっとシンクロする感じに胸が締めつけられる、本作品については。

 

神奈川芸術劇場『未練の幽霊と怪物』(作・演出:岡田利規)

  白い矩形の「能舞台」と、鏡合わせに吊り下げされた光の板が設えられている。

 同時期に下階で上演されていた『虹む街』が、舞台の中心性・時間的な集中性を良い意味で散らしていたのに対し、こちらは会場にいる全員が息を詰めて見つめるような作品だった。

 「敦賀」:2020年配信版から、淡々と背筋の通ったワキ(栗原類)と体を撚らすシテ(石橋静河)の対比が印象的だった。加えて、今回は空間を同じくしたことで、背を隆起させて舞うシテを、「舞台」からやや外れた位置で身じろぎもせずただ目撃する、ただ外であり続けるワキの、薄いゆえの存在感が強かった。

 アイの片桐はいりが台詞に尻上がりの抑揚をつける時、指で虚空を摘まんで言葉と一緒にみょ~んと高く伸ばしていたの好き。

 「挫波」:跳躍したシテ(森山未來)がどんっと着地した瞬間、再後列に座っていた私まで衝撃が伝わってきた。スタジオの客席はひな壇式で、開演前や休憩中に他の観客が階段を行き来するたび、振動を感じておうおうやってますわと思っていたけど、思わぬ?効果だ(やってる側は想定していたかもしれない)。

 終盤、シテは痙攣する音と共に、銀色の衣で丸くうずくまり、ザハ案をあらわして心臓のごとく鼓動する。2020年初めに指摘されていた以上にオリンピックにまつわる諸々の問題が明らかになった現在、形状へとアプローチする直截さが、かえって実現しなかったものへの誠実さを示して際立つ。

 「挫波」にしろ「敦賀」にしろ、能のフォーマットを現代に翻案した時に、「観光客が、訪れた土地の人が負った傷を目の当たりにしていたたまれなくなる」になるのだな…と思っていたら、公演パンフレット掲載の太田信吾「観光客に何が可能か?」では、2021年豊岡市長選におけるKIACをめぐる議論を絡めながら、観光客の話周りに言及していてマジで良かった。

 最後の暗転明滅の時、完全に非常口ランプが消えていた時間がマジの一瞬だったのが地味に好きだった。そりゃそうよ。

 配信版の感想はこれ↓

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