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了/観たものについて書く。

映画「ドライブ・マイ・カー」

※上映中の作品の内容に言及しています。

 

 妻を亡くした演出家の男性が、広島の劇場で演劇の滞在制作に取り組むことになり、手配されたドライバーの女性と行動を共にすることになる…というあらすじ。

 

 「寝ても覚めても」でも同じような感覚が残っているんだけれど、映画も終盤に差し掛かった頃に、それまで作品内で通底していた地理的なスケール感が、突如ぐっと飛躍するのが強烈に印象的だった。寒い(らしい)とはいえ光は柔らかく海は穏やかな広島から、暗く荒れた日本海側、そしてさらに北へ。耳がその圧に耐えられなくなるほどの静寂、その静寂を破る車輪が逆回る音。

 

 よく「作中作、作中での扱われ方ほど面白そうな作品に見えない問題」が話題に上がるが、本作中の『ワーニャ伯父さん』は、多分「噛み合ってない部分もあるのかもしれないけれど、形容しがたい魅力が感じられる作品」なんだろうな、と伝わってくる。

 ソーニャの演技のシーンへ誘導するのが、エレーナの人が楽屋でモニターを見上げるカットなの、あの開かれた野外稽古のシーンを引き継ぐようで好きだ。最後のソーニャの長台詞、何にも期待できない環境に置かれた人間が、ひとり育ててきた異常に透徹した価値観…というイメージがあったんだけど(多分はじめて同演目を観たときの演出の印象だと思う)、この映画での演出を見てだいぶ印象が変わった。ソーニャとワーニャは同じ現実に生きている。

 みさきの「そういう人だったと考えることはできませんか(細かい言い回しは違うかもしれない)」がファムファタル(的なもの)批判としても立ち上がりうることを考えると、そういう意味でも『ワーニャ伯父さん』である必要があったのかなと思った。

 

 あと、ドラマトゥルクの人の家での食事のシーンの機微が好きだった。後のシーンにおける家福の「どうしてそんなことを言うんですか」、予想以上に心を開いてしまっていた相手にしか言えない言葉だ。