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了/観たものについて書く。

2月補遺(久保田成子、江戸東京博物館)

◼️東京都現代美術館「Viva Video! 久保田成子
 昨年11月に同館を訪れたときは、体力と時間を勘案して久保田展を外したので、今期これで全部観たことになる。
 新潟から東京、そしてアメリカへと渡った久保田の足跡を追う史料中心の前半部。ヴィデオに造形の要素を導入した「ヴィデオ彫刻」期に入ると、作品がぐっと大型化する。
 そのひとつ、本展の広報画像としてもしばしば引用されていた《スケート選手》(1991ー92)は、銀盤を模した鏡面から光が反射して、背後の壁に影絵のようなやわらかな炎が立ち昇っていたのが美しかったが、そこですかさず作者本人によるスポーツナショナリズムへの言及を添えている。
 (ここに限らず、墓というモチーフとの関わり、「なぜ山に登るのか?」、病院にカメラを持ち込むことについて...等、キャプションにおける作家発言の引き方がかなり面白かった。)
 作品として一番好きだったのはナムジュン・パイクとの共作《パイクによるマースによるマース パート2:マースとマルセル》(1978)かもしれない。繰り返される「これはダンスですか?」という問いかけ。彼らに影響を与え、これまでの作品でもたびたび登場していたデュシャンの姿が、MADばりに加工されながら映像に刻まれていく。踊り狂う女性の肉体が古い映像の荒い粒に帰することに、何故か安心感を覚える。

◼️江戸東京博物館
 長期休館前に行ってきた。
 小学生のとき江戸時代の生活文化図録みたいなシリーズが大好きで、その本にしばしば引用されていたのが江戸東京博物館の展示模型だったので、一時期は憧れの場所だったのを思い出した。
 大人になった今展示全体を概観すると、両国という土地の文脈によるものか知らないが、興行風俗に関する展示が厚くて助かる。あと現代東京の地理に明るくなってからの方が当然ながら楽しいね...。
 博物館の特色でもある仕掛けつきのジオラマは更新も大変だろうが、改修ではそのあたりに手を入れるのだろうか。

 ところで、江戸博についても論じられている『東京ヴァナキュラー』をこの機会に読んでいるのだけれど、本の内容を踏まえつつ今回の鑑賞体験を振り返ると、思い当たる節がありすぎて面白かった。
 例えば、先述した「興行風俗展示の充実」も、本書で取り上げられていた、国家権力の中心としてではなく、庶民の都市としての江戸/東京を描き出そうとするフレーミングに依拠したものなのかもしれない。 
 また、江戸博の常設展は入場してすぐ日本橋の実寸大?模型を渡り、さらに渡った先に江戸時代の活気溢れる日本橋界隈のミニチュア模型が展示される、日本橋がある種象徴的に扱われる構成になっている。
 私は(先述した図録で)この展示の「日本橋」を先に知っていたので、関東に越してきてから、首都高の下をくぐる現在の日本橋に気づいて「あっここなんだ、ちょっとイメージ違うな」と思ったことがあったんだけど、これはまさに本書終章にて取り上げられている事例だった。
 休館明けまでには精読完了したい。

 
 これは大名屋敷の模型内に舞台を見つけたので、家の中に舞台構造があったら...嬉しい!という気持ちを忘れないために撮った写真。
 これも今見るとめちゃくちゃ博物館学的欲望極まってるな...。