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了/観たものについて書く。

東京都現代美術館(MOT Annual、コレクション展)

※展覧会の一部詳細な内容に言及しています。

MOT Annual 2022「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」
 今年のAnnualは三階だ!東京都現美、どの会場も開放性が確保されてるの展示空間として好感がもてる(すぐ集中力切れるから)。

 今回は4人の作家を取り上げている。
 一室目は障害者当事者運動や当事者の生活自立に取材した工藤春香。水域が障害当事者と社会を隔てるものとして利用されてきたことを指摘する工藤が、その隔てに異議するように川下地域から相模湖を目指して遡っていく「相模湖の水を京浜工業地帯に運び、京浜工業地帯の植物を相模湖に移住させる」が良かった。

 ニ室目の大久保ありは展示室内にさらに回廊をつくり、作家の過去展覧会から断片的なテキストを再構成している。

 東京都現美の展示室が持つ広さ高さ白さをこれ以上なく踏まえて迫ってくる、良知暁《シボレート/schibboleth》。「排除に使われた言葉」を主題とした本作品が冠する「シボレート」とは旧約聖書の一場面に登場する言葉で、日本における「15円50銭」と同じ役割を与えられた。もともとは「川の流れ」を意味する言葉という説明を読んで、先に挙げた第一室の工藤の作品を想起する。
※個々の作家の作品は独立しています。

 最後の高川和也《そのリズムに乗せて》は長尺の映像作品である。作家が「ただ記述する」ことを目的に書き溜めた日記。この日記をラップに書き換えようと試み、作品としてのふくらみが獲得されていくうちに、日記は「自分のものでなくなっていく」。自分の日記を題材にグループワークする人々を背後から撮影する作家の姿を見て、自分の書いたものが自分から切り離される現場に立ち会うのってどんな心情なのかな...?と思ってしまったのだけど、全体的に「作品になる」=「自分のものでなくなる」過程に対する希望が伝わってくるラストシーンだ。

前回のAnnual
ry-kun.hatenablog.com


MOTコレクション「コレクションを巻き戻す2nd」
 収蔵作品を過去から辿り直す「コレクションを巻き戻す」、今回は1960年からのスタート。
 厚塗りすぎて逆にカンヴァスが抉れたような印象になる白髪一雄《無題〈赤蟻王 王のシリーズより〉》(1964)、最近登板率の高い(気がする)平田実、円形モチーフで2枚並列された清水晃《色盲検査表No.5》(1963)と田中敦子《作品(たが)》(1963)が好きだった。あと新潟現代美術家集団GUN気になる。

 三階は今回点数少なめ大型め傾向だった。デイヴイッド・ナッシュ《門》(1982)は字形の崩し加減が独特。舞踏家の肌の皺やしみ、血管の盛り上がりを接写した石内都『1906 to the skin』(1991ー93)は、身体から「人格が窺える」写真とは違う気がするし、といって「フェティッシュに撮られた人体」とも違うし、パーソナルな情報が刻まれた身体という、まさに肌目の話をされているのかもしれないと思った。

前回の巻き戻し
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