冨安由真×KAATを見た瞬間、頭がぱーっと馬鹿になってそれしか事前情報調べずにチケット取った。2021年、県境移動に気が引けて「漂泊する幻影」*1に行かなかったことが明らかに未練を成している。
とはいえセンターブロックとサイドブロックでチケット料金が異なることは流石に分かっていたので、「スカイライト*2」みたいな感じかな~と予想して会場に入ったのだが、実際はもっと極端で、三方に組まれた櫓を登って舞台を文字通り「見下ろす」客席形式であった。
自然と窃視じみた視線を注ぐことになる舞台空間では、催眠領域に持っていかれるような不穏な身体動作が連続する。
時計の長針と短針のように足だけを絡ませて寝そべっていた男女。寝かしつけるように男性をリズミカルに叩く女性の手の動きが、二拍ごとにカートゥーンめいて目まぐるしく遷移し、やがて蘇生しない心臓マッサージの形に至ったとき、観客はこの動作が最初に想起したほど良いものではなかったことを思い知る。「え?聞こえない」
あるいは、ダンサーたちが古めかしい布張りのソファーに集っての「家族写真」の撮影。戯画化された「ありし日の思い出」が、郷愁を誘う三拍子*3を伴ったまま、フラッシュが焚かれた瞬間ぎったぎたに痙攣していく。
終盤近くに配置された、ずぶ濡れの女と血まみれの男のパ・ド・ドゥ。おどる身体を見るとき、毎回「脚を高く上げる」動作は(真似できるできないではなく)「分かる」のだが、それが「高く上げた脚を膝から内向きに畳む」になると急に分からなくなり、「内向きに畳んだことによって脚がかぎ状になるので、これをフックにして他の身体との連結に使用する」に至っては、本当に何?と思っている。
転換時、舞台を照らす光がすべて落ちた後、逆にバトンに組まれた照明類に下からライトを向けて、その影を天井に這わせるだけの時間が存在していた。一般的な劇場より天井と客席との距離が遥かに近いことと相まって、不気味な影が静謐に圧し掛かるような、蠱惑的な効果を観客に与えていたように思える。
終演後にサモアールに寄った。学生時分の旅行で一度だけ訪れて以来なのだが、アイスミルクティーの入ったグラスが記憶よりも大きく見え、飲食物が記憶より多いことってあるんだと思った。テーブルには銀色の花のクロスが敷かれ、その上からビニールクロスが掛けられていた。「漂幻する駝鳥」冒頭で、モノの下に(わざわざ)布を敷くという動作が印象的に取り上げられていたからか、妙に敏感になって覚えている。