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了 / 観たものについて書く。公共劇場が好き。

2024年2月/舞台芸術の「未来」をのぞむ連続講座2023 第5回 アーカイブ〜その創造性と未来志向(配信)

 舞台芸術制作者オープンネットワークが主催する、「人と舞台芸術のあり方を見つめ直」すための配信講座シリーズアーカイブをテーマに据えた第5回は、社会学者の吉見俊哉氏と、作曲家で「紙カンパニーproject」のメンバーでもある松延耕資氏が講師を務めた。

 講義内容について詳述は避けるが、吉見氏の講義はアクロバティックでありながら実践の上での基盤も固める内容でとても面白かった。自分は「アーカイブ」と聞いたときになんとなく公演の記録動画を念頭に置いていたが、当然ながらそこに留まらず網羅的でボーダーレスな保存を可能としている現代のデジタルアーカイブの可能性。「公演」に軸なす水平な時間と垂直な時間、場をもって過去を語らしめようとした吉見氏自身の実践...果てはブルック『なにもない空間』における均質な空間観に対する反駁にまで至る。

 また松延氏は、公演を捏造し、あたかも公演が行われたかのようにアーカイブを見せかける劇団である紙カンパニーprojectの活動を紹介。クロストークでは、記録によって生ずる公演の変質について触れながら、その豊かさこそを肯定的に論じていた。

 

 ところで本講座にて紙カンパニーprojectの新作公開制作のことを知った。ので行った。会場は中野のギャラリー「水性」。歩行者の多い通りに面したギャラリーは、制作期間中はΦ野区(中野区ではない)区長選挙に向けた選挙事務所を装っている。その過剰にパフォーマティブな選挙戦の佇まいに、短い滞在の間にも通行人がぎょっとして中を覗き込んでくる様子が何回も見受けられた。

 選挙事務所の過剰さとは裏腹に、会場で放映されている候補者の語り口は非常に堅実で、当初予想された、いわゆるオモシロ枠的な印象はまったくない。主張に演劇観を引くにあたって「客席から舞台に干渉できる」と訴える人間は個人的には非常に信頼できる一方で、信頼できすぎて政治家としては逆に自明に裏切られそうな予感もする(?)が、どのような作品になるのか。

 先の講座で紹介されていた、実際に19世紀フランスの劇場で起こった事件をモデルとした紙カンパニーの「公演」である「エルナニ2022」のムックもあった(Webでも閲覧可能)。公演に飽き足らず事件までも捏造しようという企画もさることながら、劇団ではない第三者がスクープしたという体のムックに漂ういわゆる逆張り的な諧謔もまた「演劇的」に感じる訳だけど、そのムックを締めるのは「観劇」した佐々木亜美氏(仮名)の素朴なコメントで、逆張りと順張りの綱引きの絶妙さにぐっとくる。新作もそうだが、演劇をまっすぐに面白がる視点と構造的に茶々入れしたがる視点、どちらかでも欠けていたら、そもそもこんな事業を遂行しようと思わないだろうしな....。

2024年2月/DANPRI FESTIVAL(文京シビックホール)

 文京シビックホールである。雨の中、東京ドームに流れていく揃いのバッグの人たちを横目にホールへ向かう。そちらはそちらで別のコンサートらしい。文京シビックセンターは建物を貫く大きな吹き抜けがあって、チケットセンターが2階にある。ロビーがホールだけでなく全施設共通だから誘導は気を遣いそうだと思う。

 開演直前になって緞帳が降り、どうしたどうしたと思っていると、開幕即楽屋を模した寸劇がスタートする。ヘアメイクとの干渉を避けるためか知らないが、後ろ開きにファスナーの付いたライブTが可愛い。

 演者の退場後、改めて出囃子が流れ始め、しれっとライブパートへと移行する。一連の動きをヘラ~ッと眺めていたのだったが、何台もの白いムービングライトが瞼のように上下に跳ねひらいた瞬間、ガンガンに仕込まれた照明の線を画面越しに悔しく思いながら追いかけた2021年5月を思い出してかなり胸に迫った。音楽ホールにガッツリ照明音響機材を持ち込んだ設営の独特な良さがある。ry-kun.hatenablog.com

 マリオ新曲「ストロベリー・バレット・ナイト」。本公演のために作られた新曲という出自だそうでひっくり返る。曲調には一皮剥けて走り出したような爽快さがあり、アニメ11話で起こるだろう何らかを想定した曲なのかな~と思っていたが、歌詞は割と10話である。あまりにも。

 WITHの2曲目(部替わり曲)、夜の部はオレーザービーム。昼の部終演時点でやるのだろうとは思っていたが、今まで配信ないしは発声なし公演でしか聴いたことがない曲だったから、この曲を歓迎する周囲の観客(アイドル)の反応や歓声がダイレクトに打ち寄せてきて嬉しかった。今回は叶わなかったが、録音された音声ではなく、興奮したコールや歓声でリアルにざわめくフロアをジェスチャーひとつで静める高瀬コヨイが見たい。近々叶いそうな気もする。

ry-kun.hatenablog.com

 挨拶後のラスト曲で客降りがある。ガーッと客席階段を上がりきって、あたりを見渡して満足そうに帰っていくウシミツ。こちらには来ないだろうと思っていたアサヒが近くまで来て、うわーっ!と思って目ェガン開いていたら、戻り際にさっと手を振ってくれた。これもパンフレットにて触れられていた「アサヒと目が合う体験談」のひとつになる。今回のパンフの座談会、演者間の演技スタンスの違いの話や演劇現場のフローの確認の話など、内容が充実していて面白かった。

 エンディング後、鳴り止まないコールのうちにWITH単独ライブの告知。ここから隙自語だが、初めてWITHの(演者による)ライブを観た2019年4月~は、その後のコロナ禍を抜きにしても自分の基盤が繰り返し大きく変動した期間だった(今も変動している。どうしよっか♥️)。ライブと上京のタイミングが合った時に隙間を縫って現場に駆け込んだり、配信に切り替わった公演を引っ越したばかりの自宅から観たり、就労により躊躇せずチケットが買えるようになったり、逆に仕事が入って現場を諦めることが増えたり...。環境も、自分自身の志向も嗜好もどんどん組み変わっていく中で、これまでの自分とこれからの自分の連続性を担保してくれた存在のひとつがプリティーシリーズでありWITHだった。そのWITHが遂に単独のリベンジマッチをしてくれることが、とても嬉しい。

2024年2月/El Cielo 2020 冬LIVE(MUSICASA)

 ピアソラスペシャリストを標榜する四重奏団(Vn./Vc./Cb./Pf.)「El Cielo 2020」のオールピアソラ、完全生音でのライブ。

 そもそもピアソラでいうと自分は去年の暮れに(『オタクはelctro swingが好き』を引用して)「オタクはピアソラが好き」などと適当を抜かしていたのだが、ふざけてないで一回真面目にピアソラを聴こうという反省の念からチケットを取ったのだった。

 ムジカーザ代々木上原の駅前から伸びる坂の途中にある。内輪向けのいけすかないサロンだったらどうしようと必要以上に身構えながら向かったが、中に入ると思いのほか居心地がよい空間だった。

 小規模ながら高さや角度の異なるバルコニーを設えた客席は視角の変化に富み、しかも本公演は自由席だから「自分で選んだポジション」への愛着が強まる。また音響面でも、弦が指を滑る音まで聞こえる緊密さに加えて、今までそこまで重視したことがなかったエリア音、例えばピアノが旋律しているときに伴う響きとか広がりとかさえ驚くほどふっくらと聞こえる豊かさも備えている。

 四者の演奏は闊達かつなめらかで、特に演奏を牽引するヴァイオリンは、迷いなく天に突き抜けていく光の軌道のようだ。一方で、例えば弦パートであれば弓で弦を撫ぜつけたりするような、官能的な引っ掻きのある音色もそれぞれ際立っており、楽団ひいては作曲家の個性を雄弁に印象づける。

 好きだった曲でいうと、Contrabajisimo(コントラバヒシモ)はコンバスのソロから始まる、MC曰く「コンバス次第でいくらでも長くできる」曲。コンバスだけを聴く機会もなかなか無いが、たっぷりとしているのに独特の間合いで観客の息を切らせない。

 Coral(コラール)はその名の通り教会音楽を思わせる展開で、ヴァイオリンとチェロのデュオで進行するパートが多い。他の曲においてコンバス/ピアノのリズム隊的な躍動が魅力的だからこそ、そのギャップでデュオ二者間だけのぴたっとした音の接着に胸を掴まれる。

 それからリベルタンゴはやはり人気曲には相応の理由があると言うべき風格で、演者たちの弾きこなしもさることながら、観客がその鑑賞身体を演者そして楽器、何より楽曲そのものにドライブさせて楽しんでいるのが会場から伝わってきた。

2024年2月/Lighting!!!(秋葉原MOGRA)

 「空間演出機材を多数導入した『光る』実験的PARTY」(公演情報より引用)を掲げるイベントで、本回が3回目の開催となる。光に群がる蛾のモチベで行く。照明ガン見することに正当性が付与されている空間は嬉しい。

 会場はDJブース側に上手・下手、高・低合計4ヶ所のレーザーと、フロア中ほどに上下一対のムービングライトが特設されている。4台ものレーザーが全開になると空間の奥行きは光の束でほぼ埋め尽くされる。なるべく自分の身体で光線を遮らないよう気にかけながら、まるで波打ち際みたいに跳ねる。面というよりもはや板状を呈した碧いレーザーに、スモークの効果がまだらに挿し込まれた瞬間は息を呑むほど美しかった。

 ムービングライトは360°ぐるりと頭を回し、腕で光を追い掛けてもいずれすり抜けていく。投影される壁や床、それぞれとの射程によってネタ光の形状がくにゃりと変容する。レンズから放たれる光の芯と疎密とを至近に見上げる。光に巻き込まれた小さな埃がちかちかと暗闇にきらめく。

 iuri氏のDJでRASのR・I・O・T掛かったの嬉しかったし、今まで危ないなあと思ってた最前ダッシュを咄嗟に踏み出しかけてすんでで止まった。

 dubbin'の空間演出として存じ上げていたもののDJを観る機会をことごとく逃していたLIFE is SAMPLINGは、中盤?くらいの刻みながら崩壊していくような展開が好きだった。全体に硬質なのに揺動する。公演の数日前に初めて聴いてかっこいいなあと思っていた「Pianos Raining Down」が掛かって楽しい。あと「BoilermanーOverheated」がMOGRAで聴けたの地味に嬉しかった。

 続くK8氏のDJはちょっと不思議になるほどリラックスしたムードだった。細かく足を切り返し続けるような楽しさ。手を替え品を替え刻み方を替えて延々と繰り返される序盤の展開だけで一気に惹きつけられる。

 今回ブースの一段手前には最後の演奏を飾るItoShin氏のためのキーボードブースが特設されていた。ハッピーな和音が連続するキーボードソロを、見よう見まねに囃しながらゆらゆら揺れる。学生時代に持っていた想像上のクラブ概念(クラブというのはハウス?がずっと流れている場所で、フロア?にいる人間は皆いい気分で踊っているらしい)がほぼ体現された時間だったなと、帰宅してから思った。

2024年2月/e.g.o. [SPREAD 4th Anniv.2](下北沢SPREAD)

  12月に思いがけず目撃したsentimental hardwareを観て、もう一度何が起きていたのか確かめたかった。ので行った。

 SPREADは採石場の地下にできた洞のような空間だった。吊り下げられた持ち込みの白い電球は、前回観たときはその点滅によって白昼夢のような効果をもたらしていたが、今回は演者も機材も、扇状に取り囲む観客までも詳らかにして、眩くなまなましい質感を産み出している。

 フェイスガードの横に取り付けられた作業灯の小さな光が早々に床に転がる。輸血袋のような金属の箱が何度も何度もバットで殴られる。やがてひしゃげて踏まれて打ち棄てられるまで、私たちはその打撃を聞く。それはひたすら興奮にドライブしていった12月とはまた違う感覚だった。照り返しの強い大通りで遂行される、人体破壊の人形劇のようだ。この場から目が離せないまま、引き攣れる音も声も耳に入ってくるのに、ただその場に立ち尽くすだけの自分がとてつもなく残忍な人間のように思える。

 

 混乱の余韻が抜けきらず、一度屋外に出る(ドリンク代で再入場可能だった)。北沢タウンホールまで歩く。窓口は閉まっていたが施設内には入り込める時間帯で、館内は帰りの利用者と時折すれ違うのみだった。煌々としたエントランスから一歩奥に踏み込むと、半ば野外のような昏く巨大な吹き抜けが建物を貫いている。整頓された公共施設の顔から一転、途方もない空間をその身に抱えているチャーミングさにめろめろになって快復した。

 会場に戻る。SPREADで印象的だったのは一つとして散漫な光源がないことで、意図の汲めなかった配置の灯体も、それぞれに設営・編成の異なる7組の出演者たちの各々にかちっと填まる瞬間がいずれ訪れる。

 最後の演奏はDALLJUB STEP CLUBだった。面的に鋭いドラムと、とろとろと軟らかく溢れていく上音が、演奏の時間軸を強烈に意識させる。音が鳴る端から、その音もいずれ経過して消えてしまうことが惜しくなるのだ。今流れていくこの音に踏み留まろうとして、観客は足を踏み体を揺らす。