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了 / 公共劇場が好き

【フィクション】河口に至る(仮) ②

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 劇場主Aが経営する極楽会館が位置する両国橋付近の一帯は、かつて都市の周縁として盛り場が集積していた歴史を汲み、全盛期には数十もの劇場が立ち並ぶ東洋随一の劇場街を形成していた。河畔にひしめく劇場たちは日夜興行にしのぎを削り、熱心な観客たちは足繁く太鼓橋のたもとに詰めかけた。しかし、爛熟を誇った文化も劇場禍の侵襲からは逃れられずに街は衰退。劇場街の筆頭格として愛されてきた旧「極楽会館」をはじめ、多くの名劇場が惜しまれつつも閉館廃業を余儀なくされたが、その隙に街へと入り込んだのがいわば外部資本のAであった。極楽会館を前劇場主時代から知る地元の事情筋は、当時について苦々しくこう語った。「Aを紹介されたのは、劇場(注:極楽会館)が再開してしばらく経ってからでしたけどね。当時はぎらついた目の光を隠そうともしない若者でしたよ。まるで飢えた…吸血鬼みたいな。あんな不気味な目は界隈でも久しく見かけていませんね。」その後、Aは極楽会館で培った「手口」を、都内の他の劇場街でも援用した。つまり、先人たちが育んできた劇場文化を、劇場禍の混乱に乗じて掠め取ったのだ。(『週刊火車』連載「ルポ 劇場禍」第三回より引用)

 

 階段状の客席を、いばらはひとつひとつ執拗に目視しながら降りていく。塵が落ちていないか、足元灯が切れていないか、観客に彼らの場所を指し示す座席プレートに欠けがないか。客電は点けていないが、客席内はほの明るかった。天窓が開いていたのだ。開演が近づいて操作レバーを回せば、こきゅこきゅと音を立てて填まる小さな天窓も、今は清潔な昼間の光が射し込まれるままになっていた。客席の中腹ほどに至り、いばらは舞台を見下ろす。客席の中央に張り出した円形舞台に、クリノリンドレスのような釣鐘状の幕が吊り下げられていた。夕方から小屋入りする利用者の要望だった。上演プランに応じて、フルフラットからプロセニアム、シューボックスからすり鉢状にまで変幻自在にその設えを変える、からくり仕掛けの舞台と客席。本来この規模ではありえない、宝石のような小劇場だ。おかげで水気厳禁であったが、これこそが「極楽会館」が前劇場主の時代から…古さゆえの使い勝手の悪さにも目を瞑って、…多くの観客や劇場関係者からの関心を惹きつけてきた最大の理由であった。それは即ち、都市東京の劇場界隈において藍原いばらが不審の目を向けられている所以であるとも言えた。

 

 藍原を離れたいばらは、以前の伝手を頼って外套ひとつトランクひとつで上京を果たしたが、奇しくもそれは劇場禍が東京を侵襲する前夜であった。紹介されて辿り着いた劇場、かつて観客たちからこよなく愛されたという旧「極楽会館」は、劇場禍の煽りを受け、いばらにその実態を見せることもなく真っ先に潰れていた。かつての職員も離散して足跡を辿れない。いばらは途方に暮れた。当時の東京では至る所にそのような光景が転がっていた。多くの劇場が多くの人々に惜しまれながら喪失した。いばらにとっては通う時間も与えられなかった劇場だった。劇場の社会基盤の脆弱さをなじる声や公共の支援を求める声、劇場人の連帯を呼びかける声が湧き、常にそこかしこで議論が巻き起こっていた。いばらはそれら総てを横目で見ていた。総てが蚊帳の外だった。価格の暴落する廃劇場を、田舎の小金持ちを騙して押しつけてやろうとまで思い詰めた不動産業者がいばらの前に現れたのは、だからほんの偶然だった。いばらはその企みに乗った。いばらは藍原から渡された手切れ金のほぼ全額を極楽会館の買収に費やした。当時なぜそこまで大胆な判断に至ったのか、いばらは誰にも話したことはない。

 

 最前席まで辿り着いたいばらは、そのまま舞台へ上がる。いつも手持ち無沙汰になると、舞台幕にほつれや破れがないか広げて確かめてしまうのは、いばらの癖だった。幕の修繕には慣れていた。廃館から引き取った直後の極楽会館の緞帳といえば、それはひどい状態だったから。かの高名な小劇場を搔っ攫ったのが、よりによって界隈の誰も顔を知らない、成金と噂される胡乱な若者だったことは、極楽会館にとって最大の不運と囁かれた。厳しい視線を感じながら、いばらは極楽会館再開のために劇場に住み込んで作業に当たった。劇場に棲みついた…と言えばかの怪人のようで聞こえはいいが、実態としては設備の更新や、傷んだ幕の修繕に昼夜明け暮れては、糸が切れると当時物置と化していた屋根裏の、おそらく下の楽屋で使われていたのだろう擦り切れたソファに逃げ込んだ。新木場がいばらを見つけ出す前のことである。現在の屋根裏は新木場の介入によって整理整頓されているが、未だにいばらの宿直に使われていた。あまりに多くの人間に愛されて、真にはいばらの所有にならなかった極楽会館において、その屋根裏だけは東京ではじめて占拠した、豊かに息づくいばらの王国であり続けた。

 

 いばらは円い張り出し舞台の上から花道を点検し、そのまま本舞台への奥へと踏み込む。舞台の底にはひそかに大きな甕が嵌め込まれており、演者が舞台を踏む足音を整える役割を果たしていた。噂が転じ、藍原いばらは大根役者を奈落の甕に沈めている、という都市伝説の存在を新木場から報告された時には、流石のいばらも頭を抱えた。とはいえ、いばらは自らの悪印象の流布を十分承知していた。極楽会館を再開館してからも、貸館規定を全面的に見直したことで以前の利用者の反発を買い、主催公演のラインナップもがらりと変え、下品な劇場に成り下がったと文句をつけてくる常連客と喧喧囂囂にやり合ってきた。泣く泣く見送った劇場が素性の知れない人間の手に渡り、意に沿わぬ使われ方をされる無念を推察すれば、いばらは彼らの怒りを無下にする気にはならなかった。無論、今でも根に持ってはいたが。本舞台の中央には常夜灯がひとつ、昼を越してぽつんと立っていた。夜間の安全のために利用終了後も常夜灯を設置する習慣は、旧極楽会館時代から引き継いだものだった。劇場圏によってはゴースト・ライト、劇場の幽霊のための灯りと呼ばれる照明。いばらはその小さな光をじっと見つめた。

 

 いばらは搬入口を開ける。大きな音を立ててシャッターが上がり、その向こうに隔てていた光景をあらわにした。極楽会館にはふたつの搬入口がある。ひとつは舞台の上手側から道路に通じる搬入口、もうひとつが舞台の裏正面に位置し、隅田川に面したこの搬入口である。川から吹き上げる風を身に受けて、いばらはダウンの余っていた袖を引っ張った。わずかに磯めいた匂いが漂う。湿気の問題があるので痛し痒しではあったが、東京の物流の大動脈たる河川交通へと直に接続している点は、極楽会館が有する大きな優位性であった。それにしても、水辺に幽霊が多いという風説は眉唾である、といばらは考えた。悪趣味な怪談には事欠かさないにも関わらず、いばらの知る限り極楽会館に幽霊が出没したことはなかった。風説に従うならば、川沿いの由緒ある劇場など幽霊の巣窟でもおかしくないだろう。そもそも幽霊の噂など、せいぜい劇場の箔づけになる程度で経営には一利もない。しかし、損得勘定を凌駕する執着もまた…幽霊と同様に、存在する。いばらは借景された隅田川の見透かせぬ流れを、すぐ間近に迫る首都道路の橋桁を、そしてその奥の対岸を眇めた。そこに幽霊の姿は見えなかった。

 

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