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2024年1月/吉祥寺ダンスLAB vol.6 小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク「言葉とシェイクスピアの鳥」(吉祥寺シアター)

※一部上演中の作品のテキストに言及しています。

 

 吉祥寺シアターは開口部が多い劇場だ。そもそも舞台が額縁なくひらかれたエンドステージではあるのだが、4ヶ所の客席扉は別にしても側面6ヶ所の左右扉、欄干から見える階段の非常口サイン、今回については奈落に矩形の穴も空き、他の劇場であれば観客の目に触れない箇所も含め多くの開口部が存在している。そして最たるは舞台奥にある搬入シャッター。これらの開閉によって舞台の向こう側にもうひとつの空間が立ち現れては潜み、単なるアクティングエリアの追加に留まらない効果を与えていた。

 

 上演においてもっとも印象的だったのは照明の自在さである。ある場所を照らす/あるいは照らさない選択、光源のバリエーション、何より客電への意識の高さ、関節と筋肉を伴っている照明だ。光だけに限らず、拡声・映像その他領域も含め、劇場を非常に柔軟に動かしている。配布された鑑文に「ダンスを見に来たつもりが」という言葉がある。身体の動きを見るつもりで劇場に来たのなら、本作ではその身体が劇場(作中表現に寄り添うなら「舞台」)に拡張されているのを思いがけず目の当たりにする。

 

 一方で演者たちは、特定の身体、例えば観客の身体をひとつの「集団」として拡張していく存在ではあり得ない。この作品は、とかく演者が演者を見る。一人の人間とそいつを見ている人間がいれば演劇が成立すると言うのなら、既に舞台上だけで同時多発的に演劇が起きている。異なる力学に動かされる演者を見つめる他の演者の目は怪訝そうで、観客は、いやあなたにも同じことを感じているからねと思わずにはいられない。

 

 ところで、上演中に「今にいられない」という台詞が登場する。ライブのコールアンドレスポンスを模した問答のさなかに、唐突に挿入される独白。私はある公演で自分が観た動作、聞いた言葉を全て拾いたいと思いながら、同時にそれを端から諦めている。忘れたくない言葉を反芻しながら、同時に今起きている動作に集中することはとても難しい。ある場面を観ながら、頭の中ではずっと前の場面や、悪くすれば全く作品に関係ない出来事について考えていることもある。だから、熱狂を目の前にしてシチュエーションから遊離するこの台詞に近しさを覚える。

 

最終盤の演者たちはシャッターの向こう側に絵画めいて収まり、こちらを見つめている。最初に述べたとおり額縁のないエンドステージの劇場にあって、シャッターが本来的でない額縁の任を負うことになる。「以上をもちまして」ではなく「気をつけてください」から始まる終演アナウンスを聞いて、今まで危険な場所に置かれていたのだと却って思い至る。

 

 本作のクリエーションは、兵庫県豊岡市にある城崎国際アートセンターの2023年度アーティスト・イン・レジデンス(滞在制作)プログラム内にて取り組まれた。参加者による滞在レポートはスペースノットブランクHPの公演情報リンクから閲覧できる。私はこれを事前に読み、「ご飯が美味しかったんだな...」ということだけ印象に残して劇場に向かった。

言葉とシェイクスピアの鳥 __ 小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク