Ry

2023年1月/京都観劇①村川拓也「ムーンライト」

◼️村川拓也「ムーンライト」(ロームシアター京都 サウスホール)

 「ムーンライト」は2018年に京都市西文化会館で初演された公演で、今回の再演までに過去2回、それぞれ東京と札幌で再演されている。

 私がこの作品を知ったとき、日本中にある今日の公共ホールの主な利用用途であり、公共劇場論において時折(「多目的」ホールの象徴として)言及されてきた「ピアノの発表会」そのものを舞台に載せた作品である、という点にまず惹かれた。だが、過去二回の再演とも観賞は叶わず、今回の再演情報を知って京都に足を運ぶことを選んだ。

※下記リンクは長津結一郎氏が2020年東京公演時に寄せて投稿した記事で、ネットで読める「ムーンライト」への言及の中でいちばん好きな文章だ。

規範意識と、自己省察―村川拓也『ムーンライト』にみる「舞台と客席を使った表現」|長津結一郎|note

 

 初めてのロームシアター京都。土地勘ない道を間に合うかどうか急ぎ気味に歩いてきた暗い冬の夕べ、コンクリートとガラスの時代の寝殿造という風格の建物が煌々と立っているのを見上げた時、かっこよすぎて修辞でなく笑いが止まらなかった。

 

 「ムーンライト」は、演出の村川拓也氏が、「主演」であるアマチュアピアニストの中島昭夫氏に彼自身の人生についてインタビューし、節目節目に別の演奏者によるピアノの演奏が挿入する形式で進められる。

 ただ、中島氏は前回2022年の札幌公演前に逝去された。今回の公演は主演が不在の状態で、それでいて「なるべくそのまま」上演するという注釈付きで開始した。

 村川氏は、中島氏の持ち物だろう白杖が添えられた椅子に向かって、いくつもの質問を投げかける。家族のこと、子ども時代のこと、ピアノを弾き始めた頃のこと。劇場全体が「インタビュー」の合間に聴き入る静けさで、舞台上の吊り物や観客のいない2階席が軋む微細な音さえクリアに聞こえる。

 

 公演内のいくつかの場面…例えば中島氏が受けたピアノレッスンの再現を試みる場面…で、村川氏は不在の中島氏に「~してもいいですか?」と同意を求める。それは「なるべくそのまま」の上演を実現するためのものなのか、それとももっと別の意味が生じうるものなのか?中島氏の白杖は真上からの照明を浴びて輝き、スタンウェイのコンサートピアノは黒々とつやめく。今ここにいない人に文字通り光を当てることは?

 中島氏の促しによって、舞台後方のスクリーンに映像が投影される。中島氏の(もともと公演のために撮影されたわけではないという意味で)私的な映像だ。「この」公演のためではない、かつての上演において、中島氏とかつての観客たちが交わした同意によって、私はかつては私的で閉じられたものであった記録を開示される。そうぐちゃぐちゃに考えているうちに上演は終わった。

 

 しかし、結局自分はあらゆる局面で今ここにいない人間を照射し続けているし、今日結んだわけでもない約束を今に敷衍させている。それが舞台に上がったときだけ心を乱すのも現金な話である。