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2023年1月/京都観劇②缶々の階「だから君はここにいるのか【客席編】」

■缶々の階「だから君はここにいるのか【客席編】」(THEATRE E9 KYOTO)

 シアターイーナインは下記リンクの記事で知って興味を持っていたので、せっかく京都に足を運ぶならこちらも行きたいなと思っていた。ので行った。検索で出てくる写真だとあまりそういう感じがしないが、川沿いの劇場だ。

【実施レポート】「劇場にいる時間を8時間におさめる試み」についての報告会(7/19開催) | NPO法人 京都舞台芸術協会 – Kyoto Performing Arts Organization

 

 上演されていた「だから君はここにいるのか【客席編】」は、かつて上演された劇の結末を認めない人間と、かつて上演された劇そのままの再演を望む人間が、互いの切実さを賭して、客席以上舞台未満の上演空間で繰り広げる二人芝居である。

 

※以下、上演内容に言及する箇所があります。同演目は2023年5月~6月に調布市せんがわ劇場で上演予定とのことで、観賞の可能性がある方はご留意ください。

 

 客席に入る。階段状の小さな客席。入場時に選んだ番号の椅子に腰かけ、がさごそ手間取りながら荷物を椅子の下にしまい込む。まだ隣の席が空いていて良かった。そうしてようやく今日のパンフレットを手に取る。間に挟み込まれた公演チラシの束。面白そうな公演があっても来られないからなあと思いながら、開演までの残り時間を使って一枚ずつ目を通していく。そのうちの一枚にある違和感を覚える。

 

 私は演劇を観るときだいたい一人で行く。客席にいる人間は皆一人きりでいるように見える。実際には大半の人間が終演後のロビーで連れや知り合いと合流しているので、私は内心話が違くない?と思いながら、逃げるようにロビーを後にする。しかし彼女は、私と同じく一人でこの劇場に来たようだった。大規模な公演のための観劇遠征と言われた方が納得できそうな、小劇場の客席にはやや似つかわしくない大荷物を引っ張って入ってきた女性。ではわざわざ遠方から駆けつけるほどの演劇好きなのか、と予想するが、話を聞いているとそのような感じもしない。彼女が観劇をするのは、これで2回目らしい。

 彼女は「演劇をつくる人」となるべく接触したくないと言う。1回目の観劇について語っている最中、彼女は「客席」に背を向けており、その表情を窺うことはできない。当然だ、観客は他の観客の顔を見に劇場に来るわけではない(客席間の視線が交わる想定の劇場構造は存在するが、それは置いておく)。しかし、それまでの場面を通じて、彼女を観客として...具体的な「あのとき」正当な観客になれなかった記憶がある観客として...近しく感じていた自分には、そのことがとても寂しく思える。

 

 劇中で我々(彼女と私のことである)が体験したことは屋台崩しどころの話ではないのだが、それでも幕の向こうの暗闇は確かに息づいており、それが豊かにひらかれる瞬間、手首をぐっと掴まれて触れさせてくるような作品だった。後にはただ客席のみが残される。