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2022年12月/演劇(俺が代、イミグレ怪談)

◼️かもめマシーン「俺が代」(STスポット/YPAMフリンジ)

 日本国憲法とそれに関連するテキストを、必ずしも「護憲/改憲といった特定の立場を描く(カンパニーHPより)」ことを目的とせず、俳優の身体に引きつけて「演じ」ようとする一人芝居。

 横浜のビル地下にある小さな劇場。中に入ると、舞台中央の水槽に、天井の管を通して水滴が伝っていく音が聞こえる。以前似たことを書いたが、劇場に水を持ち込むことが許容されている状況じたいに食らってしまうきらいがある。

 演じられるテキストの中でも、自分は「第三章 国民の権利及び義務」が印象的だった。この章を俳優(清水穂奈美氏)が読み上げる間、劇場には何者かの硬い足音が響き、俳優の発話も怯えるように途切れ途切れになる。自然、同じ空間にいる観客も(、テキスト自体は「我々」が既に確保しているものの話をしているはずなのに、)まさに今脅かされているのだと感じる。*1

 私が観たのは荘子it氏ゲストのアフタートークがあった回で、トークでは劇作家/俳優/ラッパーそれぞれの言葉⇔発話者の人格との距離感の話が中心に展開された。

 荘子it氏による、台詞を「歌う」(≒発話を自動化する)ことは、今回の演目だとプロパガンダ的になりうるという指摘から始まった、発話の自動化と演劇/音楽の違いの一連の話が、ちょうどその時関心を持っていた・読んでいた話題と重なって面白かった。

 

◼️神里雄大/岡崎芸術座「イミグレ怪談」(東京芸術劇場シアターイースト)

 記録映像上映への振替回だった。

 オープンステージの幅いっぱいに大きなスクリーンが張られ、シアターイーストの階段客席から、画面内のなはーと(那覇文化芸術劇場)の階段客席に並ぶ観客の後頭部、そして舞台からずっとずっと奥へと延びていく黒い帯(実際に見たら立体的な舞台装置なのだろうけど、映像なので本当に「どこまでも続く黒い道」に見える)をひとつらなりに見下ろす光景が、違う時間、違う空間の劇場とシームレスに繋がったようで胸に迫った。

 「イミグレ」を冠する通り、タイ・ボリビア・沖縄における移住者/移民の物語りを主題とした本作であるが、(神里氏がアフタートークで言及していたように、)移住者に対する形で先住者に言及する箇所がある。そのある種気まずそうに付きまとう、語りに薄く差した影が魅力であり、一方でより移住者⇔先住者が主題として絡まりあった「怪談」を聞きたいと思わせる物足りなさでもあった。

*1:何人もいかなる奴隷的拘束も受けない」という条文から、例えば入管で起きた問題や野宿者の排除を想起するのは無理からぬ連想である。