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2023年11月/KAAT×東京デスロック×第12言語演劇スタジオ「外地の三人姉妹」(神奈川芸術劇場)

 2020年初演以来の再演となる本作は、チェーホフ「三人姉妹」を日本統治時代の朝鮮半島に舞台を移して翻案した物語である。

【照明】(全5回)|舞台芸術スタッフの仕事 4.「照明デザインの機能」 - YouTube

これは照明の岩城保氏が本作初演を照明作例として解説している動画だが、動画内でも触れられている通り、舞台美術とその移動に特徴がある。

 舞台である日本人将校の邸宅・福沢家のセットは、可搬式の調度品で構成されており、俳優たちじしんが調度品を動かすことで場面転換を行っている。転換の時間、俳優たちが言葉も交わさないまま目線の合図のみでてきぱきと舞台セットを並べ替えるさまは、下手をすれば本編以上に人間同士のコミュニケーションの通い合いを感じさせる。さて、この「調度品を移動させる」行為は、やがてそれ自体に象徴的な意味合いが伴うことになる。

 舞台前面には、赤茶く塗られた雑貨や玩具などが雑然と、その実厳密に配置を定めて散りばめられている。先の動画内で「赤い河」と呼ばれているこの領域は、(翻案・脚本のソン・ギヴン氏と演出の多田淳之介氏によるアフタートークによると、)2020年コロナ禍での初演時に、客席と俳優間の距離4mを稼ぐというか埋めるために考案されたらしい。詳述は避けるが、この「赤い河」は今回の再演においても、最後まで幾重の意味合いにも「隔てるもの」であり続ける。

 

 作中善人としてだけ在れた人間は一人としておらず、戦争という状況が箍を外したのは確かだろうが、ただその厭らしさは「平時」とされている場面から存在していて、ただ問題視されなかったり受け流されたり目を背けられたりしていたのだという描写に、昨今に通じるものを感じて、観賞後この段になってしんどくなっている。

 一方で、三姉妹もの群像劇としても優れた機微を備えており、その面でも普通に好きだった。長女・庸子と三女・尚子が、家を取り巻く人々に翻弄され、幕を重ねるごとにやつれていくのに対して、次女の昌子は最終盤まで頬がツヤツヤしており、フィクションの次女ってこういうとこあるよなあ!と叫びそうになった。登場する女性たちの中で、昌子だけがどこか腹の底が見えない、所帯離れした人間であり続ける。

 

↓先の動画を初めて観たとき。
ry-kun.hatenablog.com

 今回動画を見返して、自分はどうしても派手な照明効果ばかりに気を取られがちだけど、照明の岩城氏が先の動画で「普通に明るくすること」「意識されずに明るい状態をつくること」が得意だと語っており、「俳優の演技をストレスなく観られる」ことって前提みたいに捉えてしまっていたな...と改めて思った。