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2023年1月/青年団「日本文学盛衰史」(吉祥寺シアター)

※上演中の作品の内容に対する記述が含まれます。

 

 原作未読。観劇日はカフェインの摂り過ぎで気分が落ち込んでおり、なんで今日チケット取ったんだ...演劇も嫌いなら劇場も嫌いだ...と思いながら中央線に乗り込んだのだが、劇場出るときには人間性が快復し、なんなら若干ツヤツヤして帰った自認があるくらい面白かった。

 

 舞台は一貫して葬儀の席、日本近代文学を形成していった人物たちが入れ替わり立ち替わり通夜振る舞いの座敷に登場し、至る所でぺちゃくちゃと好き勝手に喋りまくる。

 舞台美術は杉山至氏。座敷の欄間が劇場じたいの二階回廊の手すりとほぼ高さで組まれていたの、視界の圧され方としてちょうどよい心地よさだ。座敷⇔縁側の位置関係とか、障子の開け閉めとか、日本家屋からそこはかとなく感じられる演劇性を掬い取った舞台空間だった。

 

 登場人物たち(多くは近代日本文学の名だたる作家やその周辺で活躍した人物たちである)は、リアリティーラインの基準というかデフォルメの度合いが人物ごとに異なり、彼らが一堂に会する様子は、卑近な例えをするならば複数のイラストレーターが参加するソーシャルゲームのような印象を受ける。

 私はその手のゲームに詳しくないが、頭身やデザインのコンセプトが違うキャラクターたちが、同じ物語の上で互いに交流する様子を「そういうもの」として読むのは割と好きで、本作にも同種の好ましさを感じた。

 特に、フィクションで描かれてきた田山の中で一番どうしようもなく、同時に一番魅力的なのではないかと思わせてくる田山花袋(島田曜蔵氏)、また再登場の可能性を怪しむほど高速で廊下を通りすぎていった国木田独歩(山本裕子氏)が良かった。

 それから高村光太郎(知念史麻氏)、振る舞い全体が彫刻のポージングじみた思索的な独特の人物として描かれているんだけど、集合写真でのちょけ方からエンディングにかけての魅力の追い上げが凄まじかった。

 

 とはいえ、体調が万全な時に観ていたら、「全般に演劇とか好きそうな人が気持ちよく笑えるネタ選びで…」とか嫌味言っていた可能性も十分にある。少なくともSODの長いタイトルのくだりで笑ってた観客の判断能力に期待しないでほしい。