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2024年1月/「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容(渋谷区立松濤美術館)

 戦前日本において流行した前衛写真運動と、その精神性を受け継いだ戦後の写真潮流を、瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄の4名をキーパーソンとして追う展覧会。ここまでに千葉・富山・新潟を巡回。

 松濤美術館においては、第1会場(2階)で前衛写真の登場~大辻初期(1950年代)、第2会場(地下1階)で大辻中・後期(1970年代)~大辻の弟子である牛腸が特集されている。展示リストにおける第2章「大辻清司 前衛写真の復活と転調」が階を分割される形。展示のボリュームとしては地下1階に重心が傾いている。写真運動といえば雑誌媒体がその舞台となるためか、全体に雑誌史料の引用が厚い。

 前半(第1会場)で最も印象的なのが、阿部が演出、大辻が撮影した、「オブジェ」として趣を凝らした裸婦の写真(1950年代)である。女性の貌を布で覆い無徴のものとして仕立て、頭上には複雑な図形を描きながらぴんと張る糸、そして腹に寄った皺までも球体関節人形めいた人体観に利用したその写真を観ると、造形的な「再構成」に感心すると同時に、これを生きている女性人体でやったのマジでしゃらくせえな...という感想が自ずと去来する。例えば前衛写真に見られる海岸漂着物の再構成(これは大好き)とは違うと感じるのならば何故なのか、胸に手を当てて問い直そうとしつつも、いや明白に違うだろカマトトぶるなよ、との思いが秒で湧く。〈無言歌〉(大辻、1956)は好き。

 そのような事由で、うっすら気に食わなく思いながら後半(地下1階)に降りたのだが、個人的にはここからが面白かった。

 被写体とその周囲を広い間合いで捉えたコンポラ写真という潮流に影響を受けた大辻は、1975年『アサヒカメラ』誌上連載にて自らを「被験体」と称した写真の実験室を開設する。実験のある回では、撮影者の主観のフィルターを排した「もの自体」の写真を撮ろうとして、その存在の逃れがたさに気づく。また「なりゆき構図」の回では、大まかな動機のみでシャッターを切った作品をいざ現像してみて、撮影時は気づかなかった風景のディテールの詳細さに驚いている。「カメラはありのまましか写さない」*1という言葉があるが、ある面ではおおいに的外れで、ある面では実感に接近した言葉なのだろうと、どこか好奇心を感じさせる大辻の試行の後を追いかけながら考える。

 

前衛写真なるものを知った展示について

 

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*1:ドリフェス!」という作品の登場人物である黒石勇人の発言