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了/観たものについて書く。

「MOTアニュアル2021 海、リビングルーム、頭蓋骨」「MOTコレクション Journals 日々、記す」

※展覧会の内容にかなり詳細に言及しています。

 

東京都現代美術館

・「MOTアニュアル2021 海、リビングルーム、頭蓋骨」

  エスカレーターで潜る展示室の入り口は、暖光で満たされている。

 奥の展示室を覗くと、一段暗くなった空間が広がり、モノクロの海がうごめく大きなパネルがいくつか置かれていた。一切の温度が感じられない場所だ。

 おそるおそる足を進めると、島とも言えないような岩を侵す波を掃く、潘逸舟《波を掃く人》*1、海でない場所を泳ぐ同《not ocean》などが見える。段ボールがぺにゃぺにゃになるまで波を「収穫」しようと試みる《波の収穫》が特に好きだ。

 海の区域を抜けると、地続きに並んだ二つのスクリーンで、小杉大介の映像作品が放映されている。

 《異なる力点》は長野の高齢者が住むマンションを切り取った作品だ。繰り返される生活のシークエンス、変化する「トレーニング」のニュアンス、増えたドアのストッパー。歩行器の角度を変えるたびに床が擦れる音、ダウンがキュッと締まる音、着替えを待っている視線と待たれているという意識、共感ではなく「ここで扱われていることを私は知っているのではないか」という感覚が、スクリーンと自分の体の表面のあいだで一定の距離を保ちながら混ざっていく。その中でボディビルが白昼夢のようにも感じられる。

 自然光が差し込む廊下を挟み、最後にペルーの政治的混乱を取り上げたマヤ・ワタナベの作品の区域が置かれていた。銃痕の残る頭蓋骨に潜った《銃弾》は、それまでの部屋より一段暗く、深く、高さのある吹き抜けの空間に投影されている。作品と床との境界線が掴めず、スクリーンに吸い込まれるように足が止められない。

 明るさ、というか暗さ、が三者の作品を一連としている点で印象的な展示だった。

 

・「MOTコレクション Journals 日々、記す」

 様々な社会ムードが混在しては矛盾する、今日の生活を強く意識させるような作品構成で、大岩オスカールのロックダウン生活を題材とした連作と、平田実が撮影した東京オリンピックと同時代の美術運動の写真*2が、仕切りだけで隔てられた同じ空間に並んでいる。

 また、蜷川実花*3の作品が囲む展示室の一辺を切り出して、同じ空間の奥まったところに《ふくいちライブカメラを指さす》のスクリーンが掲げられていたりもする。

 大岩オスカールオリンピアの神:ゼウス》は東京・パリ・リオデジャネイロの3都市を3枚の紙に描いた作品である。パンフを見るに本来は縦に並べる作品のところを、高さの問題か今回は横に連ねて展示しているのだけれど、それはそれで3つの都市の橋が横軸を繋げる構成として成立している。マーカー/炭と紙の白黒で、モチーフの細部の巧みさと大画面の構成力の双方が両立しているのが迫力がある。

 蜷川実花、アイドルファンの間で好きなアイドルが蜷川氏に撮られることをプロップスとする時期があり、正味そのノリから若干苦手だったんだけど、今回展示されていた《Light of》(2015)の一枚とかは、本来エネルギーや明るさに溢れているはずの、祝祭的な場や人々の身振りを不穏な静けさで切り取って提示してみせており、制作から5年以上経って逆により「今日的」な雰囲気を纏っているのが面白かった。

 3階の「マーク・マンダース 保管と展示」、企画展は行けてなくて、プレス写真だけ見てモニュメンタルな作風なのかな~と勝手に想像してたのだけれど、実際に見てみると、なんか…思っていたよりずっと不思議な作品だな!と思った。実作品は顔や身体にインサートされる木板の存在が大きく感じられる。

 

*1:反射的に沖ノ鳥島を連想したけどどうなんだろうね

*2:正装して銭湯に入る「正装入浴儀式」や、駅前の人ごみを絵を担いで通る「路上歩行展」が好きだ。

*3:東京オリンピックパラリンピック組織委員会の理事である。