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観たものの話をしている

12月の映画、展覧会など

・映画「チック、チック...ブーン!」
 俺たちRENTキッズとしてもだな...ということで観た。ジョナサン・ラーソンの同名ミュージカルを再構成した伝記的映画で、30歳を前に何も成してない焦りの歌、友人の住んでるタワマンの歌、バ先の愚痴の歌など、こう...2021年現在においても卑近な題材の名曲がぽんぽん登場する。
 自分はOne Song Glory概念の信奉者という自覚があるんだけど、One Song Gloryに値するものを産み出せたとしても、その後も地道に制作を続けていくしかないのだ...という話を、他ならぬ作曲者の物語として語られるのは、なかなか傷口に沁みるものがある。

・「語りの複数性」(渋谷公園通りギャラリー)
 コンパクトな無料展示だけど見応えがある。映像作品も二本あり、特に百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》はかなりインパクトの強い作品なんだけど、作品の持つ力が潰れないよう、大切に展示されていることが伝わってくる。
 個人的に印象的だったのは、もうひとつの映像作品である山本高之《悪夢の続き》だ。画面に映った二人一組の片方が、実際に自分が見た悪夢を語り、もう片方がそれを引き継いで(けっこう力技で)ハッピーに解釈する。...とまとめるとポジティブなトーンの作品のようだが、自分の「体験」が他者の手で読み変えられるわけだから、納得できないけどとりあえずこの場は納めておくか...という顔をする人が出てきたり、一通り話が終わった後、「これでいいのかな」みたいにカメラをちらっと窺う様子がそのまま使われたりしていて、紹介文から想像されるほど「順調」ではないコミュニケーションの機微を掬いとっているのが良かった。

・冨安由真「The Doom」(アートフロントギャラリー)
 KAAT見逃した後悔から執念深く狙っていた展示。「ヨハネの黙示録」に登場する「蒼ざめた馬」をモチーフとした作品群で、インスタレーションと絵画作品の二室から成る。
 インスタレーション作品で知った作家なのでどうしてもその印象が先行していたけれど、実際観てみたら絵画作品もかなり良かった。団地の向こう部屋に、夜の道路に、公園の池の中に、ぬっと浮かび上がったように存在する青白い馬。夜に焚くフラッシュや、午後の光を浴びる馬の背の眩しさが、白い下地を塗り残した(?)筆致によって的確に現前されている。

・「FIRE/火」(東京都写真美術館)
・「記憶は地に沁み、風を越え:日本の新進作家vol.18」(同上)
 「FIRE/火」は国際写真賞「プリピクテ」の展覧会で、今回のテーマが「火」。
 カンボジアの作家マク・ミレッサは、かつて作家自身が経験した強制移住の記憶を、模型化して撮り直した作品を出展?している。模型化によって体験そのものの生々しさとは距離が置かれた(かのように見える)一方で、記憶のコアがより結晶化して撮り出されたようにも感じられる。デヴィッド・ウゾチュクゥのポートレート群も好き。
 5組の作家が取り上げられた「日本の新進作家vol.18」では、池田宏と潘逸舟が印象的だった。
 池田は連作からの出展だったんだけど、現代に生きる個人としてのアイヌを撮るぞ(逆に言うと「かつて存在した人々」、「現代日本とは違う時空間に存在する人々」として鑑賞者に読み取らせないぞ)という圧がある。眉の産毛とか、公共施設内にある共用の台所とか、普段美的に注目することが少ないものをとても魅力的に撮る作家だ。
 潘は東京都現代美術館の展示がとても良かったので、今回チラシでお名前を見かけた時も「おっ」と思った。
 展示室に入ると、でかいトウモロコシ畑の写真が置かれていて、足元のスピーカーからは、がさごそと何かが擦れるような音が流れていた。しばらく写真を見ているうちに、トウモロコシ畑の奥の葉が揺れたことに気づき、ようやく写真ではなく動画だったことに気づく。
 本作品《トウモロコシ畑を編む》において、潘はトウモロコシ畑に分け入って、自らの進行の動きで編み物のパターンを再現しようと試みる。もちろん試行中の作家自身も、私たち鑑賞者も、「再現」が成功しているのかは判別しがたく、どころか鑑賞者はしばしば作家の姿を見失ってしまう(畑のどこかで葉が揺れることでかろうじて再び見つけ直す)。現美に展示されていた「海」モチーフの作品もそうだったが、潘の作品の、着の身着のまま大きな空間への干渉(?)へと飛び込んでいくところが好きだ。
 潘逸舟の東京都現代美術館での展示については下記参照。
ry-kun.hatenablog.com