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了/観たものについて書く。

2022年9月の展示

◼️光島貴之「まちの肌目にふれる」(渋谷公園通りギャラリー)

作家が渋谷の街を歩いて探った「まちの肌目」...音や匂い、あるいは足の裏から感じる触感など...をもとにした滞在制作と、参加型展示のワンセット。

制作風景の映像に「テープを貼るとき、指の腹でテープをしごく」という日常的な動作を再発見させるところがあり、記憶に残っている。

 

◼️Bedtime for Democracy(北千住BUoY)

BUoY、元銭湯&ボウリング場の劇場ということで気になってたんだけど、初めてが弾丸訪問になってしまった。

冒頭にある「ウォール街を占拠せよ」運動における「人間マイク」(スピーカーの発言を聴衆がワンフレーズごとに声に上げて繰り返し、さらに遠くにいる聴衆へと伝える)の映像が直球で印象的だった。仕組み的には内側→外側→更に外側へ向かう情報の伝達だけど、その実、内側⇔外側が相互に通い合う瞬間が発生する。

他に、雑誌「Vogue」を捲りながら、そこに潜む消費の欲望を挙げていく作品があった。この中で、口紅の広告が(シンボル的な文脈の)ペニスを女性に置換したイメージで撮られているカットがあり、コロナ禍以降口紅を買ってない身としては圧されてしまった。あとブレッド&パペットシアター気になる。

 

◼️MOTコレクション(国立近代美術館)

企画展の閉幕間際だからか思ったより混んでおり、「大きい美術館は平日開館直後にヒット&ランが最適解」を再確認した。国立近美の床好き。

以下好きだった作品。

住谷磐根「工場における愛の日課」:工業化社会における「幸福なばかりではない」人間と機械の関係を描いた作品というが、金属の展性を思わせる管モチーフの配置と、絵の中央に渦巻く鮮やかなみどり色からは、有毒な性愛じみた雰囲気を感じないでもない。

藤田嗣治「哈爾河畔之戦闘」:従軍期の作品。パノラマ画角で強調された空と草原の広大さからは、どことなくジオラマめいた嘘っぽさが漂う。

田中岑「海辺」:濃い海の前に立ちはだかる赤い砂浜が強烈。刷いた絵の具が寄ったところが、絶妙に砂浜に残った風の跡を連想させる。

深見陶治「遥カノ景<望>」:青磁・青白磁特集の中のひとつ。「人の手のぬくもり」を排すため、かなり手を込んだ成形過程を経ているそうで、カラーのように直線的で角の立った造形の陶芸彫刻が、展示室の入り口にすっと立っているのは目を惹く。

吉川霊華「離騒」:詩人が女神の来訪を待つ二図一対の画が、実は「同時異図」(同じ時点の別視点の絵)なのではないか?というキャプションの解釈込みでカッコよかった。二図一対という話だと、田村彰英「湾岸」は時間軸をわずかにずらして撮った二枚の写真を並べて展示していて、こちらも好き。

石内都「連夜の街」:タイルを撮った写真について「(階段の手すり等が擦り切れることで人の痕跡を残すのと対称的に)人の痕跡が残らない」というキャプションが添えられていて、肯くと同時にもう一歩掘り下げられそうな指摘…と思ったが、タイル考的なものってあるのだろうか。

福田美蘭「Copyright」:こんなに特定のキャラクターを想起させるのに著作権は発生しないなんて!という混乱が面白い。

津上みゆき「View」:絵の前に立っているとカーブする川を見下ろしてる時の身体感覚が入ってきて、これを(抽象画ではなく)「風景画」とする作家の言葉が理解できる…気がする。