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2023年7月/練馬区立美術館コレクション+「植物と歩く」

 初練美...と書こうとしたけど確か鹿島茂関係の展示で一度来ているはずだ。いわゆる「銘品」一点集中型ではない充実した作品揃えで、自治体立美術館のテーマ横断型コレクション展がいちばん好きだという思いを新たにする内容だった。

 練馬区立美術館は今リニューアルを検討しているくらいの時期の建物で、展示室内の可動壁も毛羽立ちが目立つんだけど、そういう空間から例えば須田悦弘の木彫作品がにょきっと生えている様子がいとおしい。標本・図鑑的な作品でリズミカルに導入しつつ(本物の草木標本もある)、植物が生えいづる前の地表まで展示範疇の視座を広げる締め方も意欲的でよい。(第1章の冒頭キャプションは、「」付きでしてほしい話!とは思ったが)

 以下好きだった作品

小野木学〈枯れたゼラニウム〉(1976):節くれだって硬いゼラニウムの茎や、ある種の庭花につきまとう、しおれ際の「みすぼらしさ」を捉え直してくれたこと自体に感謝...という気持ちになった。つるっとしたタイルみたいな質感の水彩で、軽く色が乗っているのもバランスが取れている。

中川一政〈向日葵〉(1976):花瓶に生けられたヒマワリの静物画だが、大きくて葉脈が太くて、大きいゆえに軽く垂れてたるみが寄って...というヒマワリの葉の魅力が、色取り交ぜた油彩のタッチによって(花以上に)前面に出ている作品として新鮮だった。

佐藤多持の水芭蕉を描いた作品群:画家はミズバショウに繰り返し取り組みながら、そのモチーフを徐々に抽象化させており、展示室には時期の違う5つの作品が年代順に並んでいる。抽象化のプロセスに頭で興奮できるのは正味1955→1963→1964くらいまでで、以降は「ミズバショウを描いた作品」としてぴんとこないんだけど、まるで木の中の仏を掘り出すように、作家が「この線があればミズバショウである」と見出だしただろう曲線を画の中から探すのは楽しい。

草間彌生〈花〉(1992):花弁だらっと垂れ下がりながら中心をひらく、草間のこの花のモチーフは初めて観るかもしれない。エッチだよ♥️というのは嫌な冗談として、草間のリトグラフはパキッとした画面の快があって好きだ。

麻田鷹司〈さぼてん〉(1951):サボテンの温室を描いた作品で、かなり大きく前に立つと臨場感がある。温室というシチュエーションから想起されるよりも暗くくすんだ画面と、粗い岩絵の具を使用したという物理的にざらついた表面の質感が落ち着く。

麻田浩〈蝶の地(夜)〉(1988頃):貝殻に蝶と言えばまず連想するのは三岸好太郎だろうが、あちらの同モチーフがファンタジックで透明な明るさに包まれているのに対し、こちらは砂浜に埋没するモチーフの描き方もあり、いずれ砂と水に朽ち、砕かれ、削られていく予感、不用意に素足で踏み入れると傷つけられるだろうという生理感に満ちている。