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2023年8月①/多摩六都科学館、東京都現代美術館コレクション展

◼️多摩六都科学館に行った。

 館内はどこかアスレチック的というか、意図的に狭かったり入り組んだりしている印象で、これは対象年齢はワクワクするだろうなと思った。

 自分は(特に地域規模の)科学館に対し、科学館という営みに誠実であろうとしているというイメージがある。展示対象である知見・技術の進歩や、あと単純に展示装置の更新の都合上、常設展示が陳腐化するサイクルが他の博物館施設と比較して早いことに自覚的だからこそ、教育機能・調査機能で何ができるのか内省を迫られてる印象というか...。多摩六都科学館はまさにそんな館のひとつに思われた。

 それを強く感じた企画展「魚の口:食べるは生きる」。それほど広い訳ではないフラットでオープンな展示ホールに、いくつかの水槽、標本、他館から借用した映像、そしてキャプションパネルが並べられたシンプルな構成であるが、内容はポイントを絞ってたいへん充実している。補食特徴の解説のため、魚の頭部の骨格標本が展示されているのだけれど、この種の展示において「標本のつくりかた」自体のパネルを掲示している光景が好きすぎる。

 また、企画展に限らず、最近更新されただろうキャプションについては、フォントに(おそらく)教科書体が使用されているのも、手の届くところから「公共」をやっていくという姿勢が(あくまでも勝手に)垣間見えて愛おしくあった。

 しかし、自分が科学館に感じているこの愛おしさは、一方で昨今の科博のクラウドファンディングに感じるような博物館行政への歯がゆさとの表裏一体である、という旨は直視しなければならない。

 展示内容でいうと、ネコザメ(肉食で、前歯で貝を引き剥がし、奥歯で砕いて食べるという)の歯を上から見せた標本が、前歯と奥歯の形状がまったく違い、造形的に惹きつけられるものがあって好きだった。

 

◼️東京都現代美術館MOTコレクション展に行った。

 ナイトミュージアム期間中だったのでゆっくり観ることができた。

 コレクション室の入口に文谷由佳里のドローイング(2019)があるのに今回初めて気がついて一気にテンション上がった。なんで今まで目に入らなかったんだろう。

 1階「被膜虚実」では、名和晃平の鹿の剥製を夥しいクリスタルの球で覆った作品が印象的だった。キャプションとしては鹿のリアルな表皮(内側)を密封するクリスタル(外側)という語り口だったが、自分はむしろ実物を見るまで内側に剥製が入っているとは思ってなかったので、クリスタルを通じて鹿のからだを可視できることへの感激に重心が傾いてしまった...。球の集合はそう言われると梱包のプチプチ的である。

 映像作品だとSNSで話題になっていた〈山羊を抱く/貧しき文法〉、百瀬文の作品はパフォーマンスを「引き受けている」と表現したくなる。MOTアニュアル2021で観た潘逸舟の映像作品を再見できたのも良かった。

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 3階特集展示はサム・フランシスと横尾忠則。サム・フランシス、(今となっては何故かも分からないが、)事前情報と参考作品の時点では、斜めに見てたとは言わないまでも、ほーん...という温度感でいたのだが、大型の作品で四方を囲んだ展示室に入った瞬間、眉間がひらかれるような心地がした。思わず踊り出したくなる空間、というとおかしいかもしれないが、色の幹のもと空白を孕みながら滴り跳ねる点と線は、「わたしのからだも本来この線のように動けるはず」という欲求を喚起する。じっと見つめるのではなく、ぐるぐる留まることなく動き回りながら鑑賞したくなる稀有な作品だ。

 

 江東区のオタクなので東京都現代美術館の帰りは長めに歩く。越中島のプールがナイター営業中で、もちろん中の様子は見えないが、夜のプールサイド特有の強い照明は歩道からも窺える。相生橋を月島方面に渡るときの、橋の根元あたりで地面がぐっと盛り上がり、橋の上に差し掛かった途端、風が通って左右の視界がさーっとひらける肌感覚が好きだ。