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2023年5月②/補遺

◼️ようやっとスラムダンクの映画を観た。

 私が原作に初めて触れたのは確か小6の春休みに父親の愛蔵版を読み散らかしたとかで(あの頃の「愛蔵」など知ったことかと言わんばかりの乱雑な読み方を思い出すと今でも父親への罪悪感で魘される)、当時最も親近感を持っていた登場人物は宮城リョータだった。居並ぶ巨体の男たちと比べれば最も身長が近いし、自分もアヤちゃんが好きだったので「好きな人に良いとこ見せたい」というモチベーションも分かりやすかった。

 なので今回の映画は、久しぶりに会った学生時代の友人との昔話の最中に、言ってなかったけど実はあの頃こういうことがあって...という話を聞かされて、えー!何も気づかず私ばっかり助けてもらって、しんどい時に力になれなくてごめん...と思いつつ、でも当時聞いていたとしたら抱えきれずに関係性を壊していたな、今だから受け止められたな、と頭のどこかで非情に考えてしまう、みたいな情動に陥ってボロボロ泣いていた。震える手をポケットに隠す動作が正鵠すぎる。

 

◼️木材・合板博物館に行った。

 都内で最も執着している土地こと新木場であるが、同地の博物館にもかかわらず今まで訪れたことがなかった。ので行った。

 来館時、回る丸太から表面を薄く剥いでいくことでベニヤ板を作り出す、ロータリーベニヤレースという機械の操作実演に立ち会うことができた。削ぎたてのベニヤは柔らかく湿ってよい香りがして、艶のある表面は若枝の円い木目が美しく、まるで上等な反物が目の前で瞬時に織り出されたかのようだった。

 まだ明るい時間に新木場を訪れたのは何気に久しぶりだったかもしれない。ちょうど都内は気温が上がった日だった。博物館から出て荒川河口方面へ足を伸ばすと、いつになく潮の匂いが強く、どこまでも歩いてゆける心地がした。

 

◼️職場で余った切り花を貰い受けた。

 まだ蕾がついている百合を中心に持ち帰ったので、しめしめ長く楽しめるぞと思っていたが、実際疲れ果てて部屋に帰ってきた時に、朝は開いてなかったうす白く大きな花容が暗い窓辺に立ち現れていると、ちょっとぎょっとする。朝夜その香りを嗅いで心の慰めとしているが、現在精神的に追い込まれている原因はほぼ労働なのでマッチポンプという説もある。

 ともあれ、貰い物を合わせたにしては自らの趣味に合致した仕上がりだ。特に、百合に寄り添う能天気な葉振りのアレカヤシが気に入っている。殺風景な室内空間に緑が繁れる様子が好きだ。

 花瓶は持っていなかったので、この機会に生活圏のリサイクルショップで買ってきた。曽我ガラスのカットガラスの花瓶。子供の頃、祖父母の家にあったガラス製の灰皿...長い間使用されておらず、その使途も分からないまま、ただきらきらとした器として認識していた...が割れてしまった日を覚えている。それ以来、私にとって厚いカットガラスは、暗い欲望の自覚を促す存在に思われる。